ひとりごとと

日々の暮らしと、気になったことについて

普通と常識と正しさ

久しぶりに実家に帰った。

荷物の引き取りと、届け物があって。

 

久々に会った両親は変わりはなく、

暑さにバテた様子もなかった。

そこそこの年齢にはなってきているけれど、

元気でいるのは、良いこと。

 

家に着いてから話題に上がったのは

兄弟の結婚についてだった。

兄弟が今年の暮れに結婚する。

あれこれ準備を進めているところだが、

兄弟の決めることがどうも、

母は気に入らないらしい。

 

話の端々で、母は"普通は"、"常識的には"という

言葉を使った。

母の言う"普通"、"常識的に"選ぶものを兄弟が

選ばないことに腹を立てていたのだ。

 

"普通"と"常識"ほど、不確かなものはない。

"普通"と"常識"は時代と人が決めるものだと思っているから、

時代が変われば、人が変われば、それも変わる。

 

母と兄弟とは生きている時代が違う。

だけど母からしたら、自分が育て、

自分と同じ時を過ごした子どもは

自分と同じ時代を生きた人、ということになっているのかもしれない。

 

衣装であれ、式場であれ、

式を挙げる本人が良いと思って選んだものを

尊重してはどうかと言ってみた。

母は、自分の子どもが人前で"普通"ではない、"常識的"ではない姿を晒すことが恥ずかしいと言っていた。

 

それって結局、

"自分が恥ずかしい思いをするのが嫌"な

だけなんじゃないかと思った。

 

自分の選んだ式場で、

自分の選んだ衣装を着て式を挙げる兄弟は、

何も恥ずかしいとは思っていない。

だったらそれで良いんじゃないのか。

 

母の言うことに間違いはない。

"正式な婚礼衣装"や"正式なお作法"は確かにある。

私も冠婚葬祭の"常識"については知らないことが沢山あって、その都度デパートやその道に詳しい人に

話を聞きに行く。

 

母の言い分もわかる。

ただ、

"普通"を

"常識"を

"正しさ"を

選ぶかどうかは本人次第なんじゃないか。

 

選ばなかったからと言って、

間違っているわけじゃない。

ただ、

"普通"ではなく、

"常識的"ではなく、

"正しく"なかっただけで、

悪いわけじゃない。

 

こないだコンビニ人間 (文春文庫)

を読んだばかりだから、

"普通"とはなんなのかについて考えていたところに

この話題が降ってきたもんで、

は〜タイムリーだわ〜と思いながら

自分の家に戻った。

 

100人いたら、100常識ある。

それも、時代が変わればまた変わってしまう。

こんなに変わりやすく不確かなものに、

人を当てはめてしまうほど、

もったいないものはないね。